主はわれらの造られたさまを知り、 われらのちりであることを 覚えていられるからである。
主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えていられるからである。
私たちが土くれにすぎず、
主はわたしたちを どのように造るべきか知っておられた。 わたしたちが塵にすぎないことを 御心に留めておられる。
私たちのこと何だって 全てを知ってる神であり 塵で造った人間だと 神はしっかり知っている
主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを/覚えていられるからである。
主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、 あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。
どうぞ覚えてください、 あなたは土くれをもってわたしを作られた事を。 ところが、わたしをちりに返そうとされるのか。
あなたは吹き回される木の葉をおどし、 干あがったもみがらを追われるのか。
なにゆえ、わたしのとがをゆるさず、 わたしの不義を除かれないのか。 わたしはいま土の中に横たわる。 あなたがわたしを尋ねられても、 わたしはいないでしょう」。
主よ、人のいのちの、いかに短く、 すべての人の子を、いかにはかなく造られたかを、 みこころにとめてください。
ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。
あなたがたは転倒して考えている。 陶器師は粘土と同じものに思われるだろうか。 造られた物はそれを造った者について、 「彼はわたしを造らなかった」と言い、 形造られた物は形造った者について、 「彼は知恵がない」と言うことができようか。